With・・

第2章〜Answer〜

 
「それじゃあお会いできるんですね。」
 電話の向こう側の若菜は嬉しそうに言った。
「うん、何とかアルバイトの休みを調節してもらえてね・・・。」
「うふふ・・・嬉しい。本当に久しぶりですから・・・。」
「うん・・・そうだね・・・。」
 若菜の言葉を聞いて、紫音は少し心がズキンと痛んだ。
「あ・・・それで、待ち合わせの時間と場所だけど・・・。」
 その心の内を消し去るように、紫音は若菜にそう問い掛けた。
「そうですね・・・。」
 若菜はその問い掛けに少し考えていたが、
「紫音さんがお決めになってください。・・・私、まだこちらの事は良く解らないので・・・。」
 と、少し困ったように笑いながらそう言った。
「あ・・・そうだね。」
 若菜からのもっともな返答に、紫音は少し考えて場所と待ち合わせ時間を若菜に伝えた上で「どうかな?、これで・・。」と聞いてみた。
「はい、それで宜しいですよ。うふふ・・紫音さん、お会いできる日を私楽しみにしてますから・・。」
 若菜は嬉しそうにそう答えた。
「うん、僕も・・それじゃあ若菜・・、もう遅くなるから・・。」
「あ・・そうですね。・・それじゃあ紫音さん・・。」
 紫音との別れを惜しむように、さっきまでの弾んだ声とは打って変わって少し悲しそうな若菜の声が受話器から聞こえてきた。
「若菜・・・少しの辛抱だから・・・頑張って・・。」
 紫音はその声を聞いて若菜を優しく励ました。
「はい・・それでは紫音さん・・・・お体に気を付けて・・大学とアルバイト、頑張って下さいね・・・・。」
「うん・・若菜も・・・学校・・頑張ってね。」
「はい・・それでは紫音さん・・おやすみなさい・・。」
 そう言った後、若菜が受話器を置く音が聞こえ、「ツー、ツー、・・」という音が聞こえてから、紫音は受話器を置いた。
(おやすみ・・若菜・・・あと、もう少しで逢えるからね・・・・)
 心の中で紫音はそう呟いていた・・。


「ちょっと早かったかなあ・・。」
 バイクを歩道脇の駐輪スペースに止めた紫音は、自分の腕時計を見てそう呟いた。
 梅雨の中休みと言う天気のある日、紫音は若菜と駅で待ち合わせの約束をした。
 久しぶりに二人の時間が合い、デートをする事になったのだ。
「・・音がばらついてるな・・・」
 ドッ・・ドドっと紫音のバイクの排気音が、時折詰まるように響くたびにエンジンの回転計が微妙に上下し続けていた。
(そろそろ本当に修理しないと不味いかな・・前はこんな事は無かったのに・・)
 紫音は、回転計の揺れる針を見ながらそう思った。
 紫音の乗っているバイクはカワサキのZZ-R400と言う、今から10年位前に発売になったバイクで、紫音が免許を取った高校時代の時に、友達のつてで格安で手に入れた物である。
 今でもそのバイクはモデルチェンジを繰り返して発売されているのだが、紫音のバイクは丁度そのバイクがデビューした頃の物で、年数的にもまた、走行距離的にもかなりの物になっていた。
 しかも、このバイクの前のオーナーがあまり整備をしていなかった事もあって、紫音のバイクは、普通の法定速度位なら問題は無いものの、アクセルを全開にしての走行はかなり不安が付きまとうほどに調子を落としていた。
 本当ならすぐにでも修理をする為にバイクショップに持ち込みたいのだが、最近の忙しさと、通学、アルバイトの足が無くなる事の不便さから紫音はそのバイクを今までずっと騙し騙し乗り続けているのである。


「早いけど、まあ・・待たせるよりはいいか・・。よし、それじゃあ行きますか・・。」
 そう言うと紫音はエンジンを止めてバイクを降り、盗難防止ロックを架けて駅へと歩き出した。
(やっぱり早かったかなあ・・・流石に約束の時間より30分も前だからなあ・・。)
 駅についた紫音は、ふとそんな事を思いながら辺りを見回していた。
「あれ?・・・まさか・・・・」
 長い黒髪を風に揺らせて人待ちをしている女性・・。
 紫音は其の女性の方へと足を向かわせていた。
「若菜。」
「え?・・あ・・紫音さん・・。」
 不意に自分の名前を呼ばれて振り返った若菜は、紫音の姿を見て嬉しそうに微笑んだ。
「随分早く来たんだね。」
「はい、何だか待ちきれなくて・・うふふ・・。」
「?・・どうしたの?」
「そう言う紫音さんこそ・・。まだ約束の30分前ですよ・・。」
「あ・・そう言えばそうか。」
 紫音は若菜からそう指摘されてふと照れ笑いを浮かべた。
「うん・・僕も何だか待ちきれなくて・・・久しぶりに若菜に逢えると思うとね・・。」
「あ・・は、はい。・・私もです。・・私も貴方に逢えると思うと・・。」
 若菜は頬を紅くしながらそう恥ずかしそうに答えた。
「う・・うん。・・・あ、そ、それじゃあ行こうか。」
 紫音は嬉しさと照れ臭さを感じながら若菜の手を取り、街へと歩き出した。
「はい。うふふ・・。」
 若菜も、そんな紫音の姿を見て嬉しそうに一緒に歩き出した。


「ふぅ〜、何だか落ち着くなあ・・・。」
 紫音はベンチに座り、う〜んと言う感じに背伸びをした。
「うふふ、そうですね・・。」
 隣に座っている若菜も、そんな紫音の姿を見てにっこりと微笑んだ。
 はしゃぎ過ぎて少し休みたいと言う若菜を連れて、二人は街の中央公園に来ていた。
 公園には休日とあって、カップルや家族連れの姿が多く辺りは賑やかな明るい声が響いていた。
「こんな風にのんびりするって久しぶりだよ。」
「そうなのですか?」
 紫音の言葉に若菜は少し驚いた風に聞いた。
「うん、ゼミの課題とアルバイト漬けでね・・。今までずっと連絡出来なったのはそのせいなんだ。・・・本当にごめんね。」
「・・気になさらないで下さい。私なら平気ですから・・。」
 若菜は小さく首を横に振ってそう答えた。
「若菜・・。」
 紫音はそんな若菜を見つめながら若菜への愛しい気持と、申し訳ない気持を一杯に募らせていた。
 実際、若菜の方から紫音の元に電話をかけたりする事はめったに無い。
 若菜自信も忙しいと言う事もあるが、それ以上にやはり祖父との約束・・
 弱音を吐いたりしたら紫音と別れ、京都へ帰らなければならないと言う事が若菜を今まで以上に「謙虚で芯の強い女性」へと縛り付け、そう 言う行為が出来ない状況を作り出していた。
 そして紫音もそんな若菜の心情を察したからこそ、自分の方からなるべく時間を見つけて連絡を取っていたのだ。
 だが、最近の紫音の忙しさはそんな時間さえも思うように取れない事もまた事実ではあるのだが・・。
「あら?・・僕、どうしたの?」
 若菜は目の前にやって来た子供に優しく問い掛けた。
 まだ赤ん坊と言ってもいい位小さなその子供は、紫音達の方をじっと見つめていた。
「・・迷子・・かな?」
 紫音がそう言った時、向こうからその子供の父親らしき人が近づいてきた。
「あ、すいません・・こら、翔。お兄ちゃん達の邪魔したら駄目でしょ?・・さあ行こう、ママも待ってるよ。」
 そう言うと父親は自分の子供を抱っこした。
「いえ、気になさらないで下さい。・・それじゃあ、翔君、さようなら・・。」
 そう父親に言うと、若菜はその子供に小さく手を振った。
 すると子供も「ば〜ば〜」とつたない言葉を言いながら若菜達に手を振った。
「あ・・うふふ、可愛い・・。」
「うん・・。でも良かった、迷子じゃなくて・・。」
「はい、そうですね。・・」
 若菜はそう答えるとさっきの親子を目で追った。
 その先には、父親に抱っこされてる子供に顔を近づけてあやしている母親と、嬉しそうに笑ってる子供の姿があった。
「・・幸せそうですね・・。」
「うん・・そうだね・・。」
 紫音もその親子を見ながらそう答えると、ふと若菜の方へと視線を写した。
「?・・若菜?」
 その若菜の表情は、さっきまでの笑顔ではなく寂しそうな表情を浮かべていた。
「どうしたの?、そんな顔をして・・。」
「・・紫音さん、一つお聞きして宜しいですか?」
「う、うん・・。何?聞きたい事って・・。」
 若菜からの急な質問に、紫音は少し戸惑いながら答えた。
「・・紫音さんは・・夢の中で家族の夢を見たりしますか?・・。」
「家族の夢?・・・う〜ん・・時々見る・・かな・・。でも何で急にそんな事を?」
 紫音からの問いかけに若菜は少し間を置いて、ゆっくりと答え始めた。
「・・私、最近・・毎晩のように家族の夢を見るんです。・・・京都に居た頃は家に帰ると、御爺様や御婆様・・それに両親がいつも家に居たんです・・。そのせいか・・東京に出てきて、一人の部屋に帰って一人ぼっちで眠りについてると・・・ふと京都に居た頃を思い出して・・。」
「・・・そうなんだ。」
「そんな時、紫音さんにお電話したいって思う事もあるんです。・・でも紫音さんに迷惑じゃないかと思って・・それに・・・御爺様の約束もあって・・・・うふふ、駄目ですね私って・・。自分で選んだ事なのに・・・こんなに弱気になるなんて・・・。」
 若菜はそう言うと寂しそうに微笑んだ。
「若菜・・。」
 紫音はそんな若菜をただ、じっと見つめる事しか出来なかった・・。
「もうこんな時間なんだね。」
「はい・・・そうですね。」
 辺りが夕闇で覆われた頃、二人の時間は終わりを告げようとしていた。
「紫音さん、有難うございます。・・今日はとても楽しかったです・・。」
「うん・・僕も・・。」
 二人はそう言葉を交わしながら、駅への道のりをゆっくりと歩き続けた。
「部屋まで送ってあげようか?」
 紫音の申し出に若菜は小さく首を振った。
「有難うございます・・、でも大丈夫です。・・それに、紫音さんは今日バイクで来たのでしょ?それだと私を送ってしまった後、また駅まで戻ってこなければ行けなくなりますよ・・。だから・・。」
 若菜はそう言うと優しく微笑んだ。
「そうだったね・・、気を使わせてごめん・・本当に・・。」
「いいんです・・、貴方の其のお気持だけで私、本当に嬉しいですから・・。」
 若菜の借りている部屋は、通う大学の関係で紫音の家からかなり離れた距離にある。
 しかも若菜は今日待ち合わせた駅に来る為に、電車を乗り継いでやって来ている。
 若菜が気を使ってそう言ってしまうのも当然であった。
「また・・時間が出来たら一緒に逢おう・・。」
「はい・・約束ですよ・・。」
 そう言って視線をふと前に戻した若菜は、
「あっ・・」
 っと小さな声を上げた。
「どうしたの?・・」
「・・駅・・着いちゃいましたね・・。」
 若菜の声を聞いて、紫音も視線を戻した。
「あ・・・本当だね・・・。」
 二人の目の前には、今日待ち合わせた駅の入り口がゆっくりと近づいていた。
 そして、それは二人の時間の終わりを意味していた。
「結構ゆっくり歩いたつもりなんだけどな・・」
 紫音が少し溜息混じりの呟いた。
「はい・・・・」
 若菜も少し悲しそうに答えた。
 二人は入り口前の交差点で立ち止まり、お互いに見つめあった。
「本当に・・送っていかなくていい?」
 紫音はもう一度若菜に問い掛けた。
「はい・・大丈夫ですよ・・。」
 若菜は少し微笑みながら答えた。
「また・・電話するから・・」
「はい・・待ってますね・・。」
 信号が赤から青に変わり、人の流れが動き出す。
「じゃあ・・行こうか・・。」
 そう言って紫音は歩き出そうとした。
 だが、思わず紫音はその歩みを止めてしまった。
 若菜が歩こうとした紫音の腕を掴んだのである。
「若菜?・・」
 どうしたのと聞こうと若菜を見つめた紫音は、言葉を飲み込みその場に立ち尽くした。
 そこには・・涙を一杯に浮かべ、必死に寂しさに耐えようとしている若菜の姿があった。
 それは、紫音が初めて目にする「弱い」若菜であった。
「・・・・もう少し・・・もう少しだけ・・一緒に居て下さい・・・。」
 若菜は涙をこらえながら、消え入りそうな声で続けた。
「・・そうすれば・・また、頑張れるから・・一人ぼっちでも・・過ごしていけるから・・・・・。」
「・・・・・わか・・な・・」
「・・・・あっ・・。」
 紫音の声にふと我に返った若菜は、掴んでいた腕を離した。
「・・ごめんなさい・・・私・・・私・・。」
 自分を責めるように、若菜はその手を胸の前でぎゅっと握り、小さく震えていた。
 紫音は立ち尽くす様にその姿をじっと見つめていた・・だが、次の瞬間、
「あっ・・・・・し、紫音・・さん・・。」
 紫音は、若菜を強く抱きしめていた。
 初めて心が通じ合ったあの時以上に、強く、そして愛しく若菜を抱きしめていた。
「若菜・・・ごめん・・・僕のせいで・・・」
 紫音は泣きそうな気持ちを抑えながら、若菜に囁いた。
「・・・紫音さんのせいではありません・・。私が・・私が弱いから・・。」
「若菜・・・」
 紫音は若菜の言葉を聞いて、自分への怒りと若菜への切ない気持ちで心が溢れそうになっていた。
「若菜・・・・夜でもいい、・・朝でも・・いつだっていい・・寂しくなったり・・泣きそうになったら電話して。・・僕、すぐに若菜の所へ飛んでいくから・・・飛んでいって・・若菜を・・・慰めてあげるから・・・・・・。」
「紫音さん・・でも、そんな事をしたら紫音さんにご迷惑・・」
「そんな事気にするな!!!」
 若菜の言葉を遮るように紫音は叫んだ。
「し・・紫音さん・・。」
 その紫音の叫び声に若菜は驚き、言葉を続ける事が出来なかった。
「・・・・そんな事気にしなくていいよ・・・僕達恋人同士だろ?・・だったらそんな事気にしないでよ・・。」
 紫音は涙で時折声を詰まらせながら続けた。
「僕・・・・若菜の迷惑なら・・・喜んで引きうけるから・・・・・若菜のかける迷惑なら・・・・・・僕は凄く嬉しいから・・・・・」
「紫音さん・・・。」
 紫音の言葉を聞いて、若菜は声を震わせながら囁いた。
「紫音さん・・・有難う。・・・・・・・だけど・・もう・・大丈夫です。」
「え?・・」
 若菜の意外な言葉を聞いて、紫音は抱きしめていた手を思わず緩め、二人の体は離れてしまった。
「若菜・・・。」
 紫音は、若菜の今言った言葉が信じられないと言った表情で見つめていた。
「紫音さん・・本当に有難う。・・だけど・・もう、大丈夫です。・・紫音さんのその言葉を聞いたら・・また、元気が沸いてきたから・・だから・・もう大丈夫ですよ・・。」
 若菜はそう静かに語りかけると、紫音に優しく微笑んだ。
 そこには、さっきまでの「弱い」若菜ではなく、紫音の知る「弱音を吐かない、芯の強い」若菜の姿があった。
 そして信号が赤からまた青へと変わり、人の流れが動き出そうとしていた。
「それじゃあ紫音さん・・お体に気を付けて・・大学とアルバイト、頑張って下さいね・・。」
 そう言うと若菜は人の流れに乗って歩き出そうとした。
 だが、その直前紫音にふと寄り添い、耳元に囁いた。
「でも・・どうしようもなく寂しい時には・・貴方へお伝えてしても宜しいですか?」
「え?・・」
 紫音は若菜の言葉に少し驚いたように若菜を見た。
 ゆっくりと体を離した若菜は紫音の顔を見ると、微笑みながら小さく手を振って横断歩道を駆け出した。
 紫音はその背中を追うことが出来ず、ただじっと若菜の姿を見つめていた。
 そして信号が赤になり、若菜の姿は車の流れに消されてしまった。
 だが、まだ紫音はそこから立ち去る事は出来なかった。
・・でも・・どうしようもなく寂しい時には・・貴方へお伝えてしても宜しいですか?・・
 紫音の心に、若菜の最後の言葉がリフレインで流れていた。
「若菜・・。」
 紫音は若菜への切なさを募らせ、涙を隠すようにふと空を見上げた。
 涙で歪んだ空は、また黒い雲が広がり街中へ・・そして・・・心へ雨を降らせようとしていた・・。









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