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四日間の一日乗り放題
〜障害の振り替え旅行も、やっぱり障害に遭遇〜



2003年3回目となる旅行はまたまた全日空の乗り放題である。今回の予約は「米騒動」と言われる1月7日午前2時半の戦いで獲得したものである。すなわち、発売日の1月1日に予約したものの購入期限の6日までに決済しなかった人たちの分が開放される時間である。

今回はまもなく引退となるYS-11を絡めた上で、やっぱり西日本を目指そうと言う予定。丘珠始発の根室中標津行きに乗って、中標津から千歳行き。千歳から羽田に飛び、羽田から富山行きに繋ぐ。富山4時間ぐらいの滞在の後、羽田を経由して新千歳に戻ってくる。このうち、中標津行きと、乗り継ぎの千歳行き。そして羽田からの千歳行きを「米騒動」で取っている。「米騒動」とは乗り放題の予約を狙う人たちの隠語らしい。それはこの予約開放時間前後に満席を示す×印が、「空席待ち可」を示す*印になるのだが、この*印にいかに予約を叩き込むかと言う騒動がそう言われる所以らしい。

飽きもせずにまた西日本地区だが、東京時代にJR東日本に毎日お世話になっていたので「JR東日本=近場」という感覚が抜けない。青森とか、秋田とか、新潟とか、長野とかは結構近く感じてしまうのである。もちろん北海道に戻った現在は遠くなったのだが、なるべくなら避けたい。東京時代はJR東日本の範囲である仙台よりも、JR東海の範囲である沼津の方が遠く感じたものである。


3月1日


そんなこんなで7時過ぎに家を出て地下鉄を乗り継いで栄町駅に向かう。いつもなら車で空港に向かう所だが、今回は丘珠出発千歳到着の予定なので車で空港に行けない。途中新道東駅で突然携帯が震えだした。メールは、こちらも一日乗り放題で飛び回る予定の「たびーの王子」(以下、王子)からであった。なんと羽田航空管制センターの故障で8時以降出発の便が抑止中とのこと。「私は丘珠からだから大丈夫」と考えていた。

栄町に到着。「時間が無ければタクシーかな」と思っていたのだが、とりあえずバス停に向かう。すると時間を確認する前にバスがやってきた。

あっという間に順調に丘珠空港到着。札幌に住んでいながら丘珠空港を使うのは初めてである。近距離線しか飛んでないからね、使うことが無いんだわ。

そこで発券と搭乗手続きを行う。順調に6枚の航空券が出てきた。カウンターのお姉ちゃんに「搭乗手続きも出来ますが行いますか?」と言われ、お願いした。中標津行きと新千歳行きは順調にできたのだが、そこから先で多少時間が掛かった。脇から男性係員が出てきてなんとか全ての便の搭乗手続きを終えた。

すぐに手荷物検査を行って飛行機に向かう。YS-11が二機止まっていてちょいと迷ったが、「中標津行き」の標識を頼りに無事乗り込む。

YS-11に乗るのは初めてだ。

小さなタラップを上がって乗り込む。入ったとたん「わ、小さい」と思った。今まで乗った飛行機の中で一番定員の少ない飛行機である。座席は1Cと言うことで、入るとすぐに席である。室内と扉に仕切りがあり電車で言う「デッキ」みたいな感じだ。そのため目の前は壁。その壁の汚れ具合を見てこの飛行機の年齢を感じた。

そうして扉が閉まる。すると今まで静かだった飛行機が、突然うなりだした。ますは右のプロペラが回りだす。遅れて左も回りだした。うぉ〜これがプロペラ機かぁ。ちなみにプロペラ機もはじめてである。飛行機に微妙な振動が来たため、窓際の確保できなかった私は「動き出したのか!?」と思ったが、まだ動いてなかった。

そのうちついに動き始めた。窓がかなり見難いところにあるので外が見づらい。どっちに進んでどういう動きをしているか判らないうちに滑走路の端っこについた模様。「まもなく離陸します」と案内放送が掛かると、エンジン音が変わり助走を開始。そうして飛び上がった。

札幌の市街を右に見て、すぐに江別である。撮影地としても有名な函館本線夕張川鉄橋を渡る電車の姿が見えたが、窓際でないため何系かまでは判らない。

夕張山地をあっという間に越えて平原に出た。十勝平野だろうか? なかなか場所がつかめない。ここら辺であれば国鉄士幌線の廃線後や、北海道ちほく高原鉄道の線路などが見えるはずだが、窓際でないためわからない。

今は池田辺りかな?と思っていると「まもなく着陸です」と放送。左の窓から摩周湖が見える・・・・・。摩周湖って普通霧が掛かっていて、晴れた摩周湖を見ると婚期が遅れる」と女性の場合よく言うのだが・・・・(汗)

無事に中標津空港に到着。

降りたところでまたまたYS-11の写真を撮る。他にもやっぱりYS-11の写真を撮っている人がたくさんいた。しばらくして切り上げてターミナルビルに入る。



中標津空港で。乗ってきたYS11。ANKでの搭乗はこれが最初で最後となった


最初は「とりあえず中標津市街地にでも行くかな。」と思っていたのだが、市街地までは7kmほどある。北都交通の小さな連絡バスが出ているのだが、バス時刻表を見てみると、中標津市街地まで行っても搭乗予定の千歳空港行き飛行機の連絡バスまでの時間が15分程度しかない。これではなにも出来ない。

しかたがないので出るのはやめた。そこで3階に展望デッキがあるのでそこに向かいまたまたYS-11の写真を撮る。折り返し丘珠行のお客を乗せている。最後まで飛行機の周りで写真を撮っていた一人がいた。飛行機マニアだろう。

YS-11はなんと出していたタラップを自分の機体に仕舞いこんでしまった。

独特のプロペラ機の音を残してYS-11は丘珠に向かって離れていった。

ここで私は重大なことに気がついた。たびーの王子からのメールで「丘珠発だから関係ないね。」と思っていたのだが、なんのことはない次に乗る予定の千歳行きは羽田発中標津行きの機材を使用するのである。これはヤヴァイ! 案の定「千歳行き***便は10時半ごろ羽田を離陸予定です。」ってまだ羽田出てないぢゃん(爆)

しかたがないので、ターミナル2階にあった「そば処 福住」に入る。このそば屋、外にメニューは出しているが、値段が書いていないと言う恐ろしいそば屋である。はっきり言ってやる気が感じられない。まぁ中標津という土地柄なのだろう。

そこに入る。先客はいない。窓側の席に座り月見そばだったかを頼む。

空港がいい感じで見えるが、中標津なので飛行機がいない。その先の摩周の山がとてもきれいだった。

そばは可もなく不可もなくという味だった。

飛行機が着く気配が全く無いので(まだ羽田すら出ていない)、この店でノートパソコンを開いて今回の旅行記を付け出す。日帰りで荷物が少ないからノートパソコンを持って出たのは前回の松山行きと同じである。たまに山を見ながらカタカタと順調に打っていく。すると飛行機を待つ人たちが三々五々(たまに一人で)やってくる。皆待ちくたびれているのだろう。この恐ろしいそば屋は羽田の故障で時ならぬ賑わいとなった。

私も更に打ちつづけたかったのだが、ノートパソコンの電池残量が50%を切ってしまったので切り上げた。これから先の羽田行きや富山行きの飛行機の中でも旅行記を書きたかった。

この辺りから私は「中標津にするべきではなかった。」と思っていた。同じ丘珠を朝に出るYS-11の便に「稚内行き」と言うのがある。これだと稚内滞在時間は「折り返しだけ」と少なくなるが、またYSに乗って千歳に戻れる。「そうすれば適当に先行の羽田行きの空席待ちで羽田に行けたかもしれないな。」中標津からの折り返しは丘珠に着いてしまい、千歳に移動する時間が必要になってしまう。その為に千歳行きに乗り継ぐルートを選んだのである。

そんな風に軽く考えていた。

そば屋も混んで来るし、旅行記は書けないしで、仕方がないのでそば屋を出る。

今日の中標津は快晴である。ふらっとターミナルビルを出てくるっと回ってみるが、何も無いのですぐに戻ってきてしまう。しかも飛行機が何時に飛ぶか判らないので中標津市街地に行くようなことは出来ない。

ターミナルビルの中から建物前の除雪作業をなんの気なしに眺めたりする。しかしその内作業員達はどこかに行ってしまった。時計を見ると12時で、お昼休みの時間だ。

そのうちについに羽田からの飛行機が着く時間が迫ってきた。3階の展望デッキに上がる。すでに5、6人が飛行機の到着を今か今かと待っていた。
私もその中に混じって飛行機を待つ。来た来た。大きく旋回しながら羽田からの飛行機がやってきた。実に二時間遅れである。ぐるーっと回ってきて着陸。こっちにやってくる。YS-11はタラップを使って降りたが、羽田から来たジャンボは搭乗橋を使った。

折り返しを急げば少しでも遅れを取り戻すことができるのに、、、と思ったのだが、結局30分近く後に搭乗開始となった。

指定された窓側の席に座る。聞きなれたジャンボの離陸。右側の窓から風景を眺める。やはり湖が見える。機内誌から割り出すが、やっぱり摩周湖だ。晴れてる(汗)

機内誌のルートから行くと釧路上空を飛ぶように思えたが、飛行機はまっすぐ千歳を目指しているようで、標茶の市街地上空を通過していく。標茶市街地と屈斜路湖が一緒に見えるのはさすがに飛行機だ。

その次に北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の線路を越える。列車が走っていれば面白かったのだが、あいにく見えなかった。

ふるさと銀河線を越えたとなると、今度は旧国鉄士幌線である。さすがに士幌市街地かどうかはわからなかったが、集落を通過。北海道の場合ある程度の市街地が形成されていると必ずそれは市町村の中心街であることが多い。ということは・・・・あれが廃線跡だろうか。さすがに冬の北海道であるため線路跡も畑も雪の下でありよくわかんない。それでも市街地の真ん中を斜めに抜けて、道路を横切り防風林を切断して道道(国道?)に沿いながら次の集落を目指す筋が見えた。「ああ、あれが士幌線の跡だな。」 そう思いながら眺める。そうすると次に見えてきた市街地は鹿追だろうか? するとはっきりしないその筋は北海道拓殖鉄道の廃線跡!? 

飛行機は新得上空を抜けていく。真下にはオメガカーブを描く根室本線が一望だ。そのまま飛びつづけたので、アルファリゾートトマムのツインタワーに、次駅の占冠、そうして占冠村市街地まではっきり見えた。「このまま行くと新夕張かな?」と思ったのだが、飛行機は線路よりかなり南側を飛び始めたので、それから先はわからなかった。

室蘭本線を早来付近で超えた飛行機は、そこで大きく旋回し、機首を北に向けた。先ほどまで寄り添って見えていた石勝線と直角に交差して千歳市街地上空で再び旋回。北側からようやく新千歳空港に着陸した。

搭乗橋から降りる。するとターミナルビルは予想を越えた大混雑であった。地上係員は「全日空****便にお乗り継ぎのお客様お知らせください。」と声を張り上げている。それは私の乗る予定の便より40分あとの飛行機だ。どうなっているんだ!! なんと言っても乗り継ぎ通路を封鎖して入場制限をかけているのだ。それはないだろう。それでも私も「974便だよ!」と言って何とか抜けた。

974便は3番搭乗口から出るらしい。出発予定は14時15分とのことだ。とにかく3番搭乗口に行って「あとの便の方が先に出るとは何事だ!!」と文句を言おうと思った。が、3番搭乗口に行くと、すでに地上係員に詰め寄っている人がいる。やはり乗り放題の人らしい。その話がちらっと聞こえてきた。「ここで打ち切られますと、乗っていない便の航空保険料300円のみ払い戻しいたします。30日以内でしたら、別の日程に変更を承ります・・・・」

別の日程に変更!? それって他の日に変えられるということだよね?

話が急転してきた。私のいる場所は千歳。まだ北海道である。しかも家からバス乗り継ぎで1,020円の距離だ。このまま無理に日程を続けても富山から帰って来れるかどうかわからない。明日は朝から仕事である。富山の4時間が折り返しすぐになる可能性だって大いにありうる。なんと言っても現時点で既に2時間遅れだ。となると・・・・打ち切った方がいいな。

前の人が引き下がったので私が地上係員のところに行くと、係員のところに電話が入った。すると係員は「すいません女満別行きの搭乗が始まりますので・・・」と言って隣の搭乗口から出る女満別行きの作業を始めてしまった。

仕方がないので別の案内カウンターに行く。しかしそこも行列。並んでいても一向に進まない。しかたがないので、また3番搭乗口に行く。すると先ほどの女性係員は手隙だったので聞いてみた。するとやはり一回だけ別日程に変えられるとのこと。「それなら変えたい。一旦出たいのだが。」というと「手荷物検査場を逆走してください。」という。そこで手荷物検査場に行くと、これまた入ってくる人で渋滞。脇に確かに外と繋がっている扉があるのでそのそばに行こうとすると、検査場係員に止められた。事情を話すとあっさりその扉から出ることが出来た。

変えることが出来る、とは言ってもどこで変えられるの? そう思いつつ全日空のカウンターに言ってみるととんでもない行列が出来ていた。しばらく待ったがまったく動く気配がない。「聞くだけだからキャンセル待ちカウンターでもいいかな?」とキャンセル待ちカウンターへ向かう。ここはそんなにも混んでいない。ちなみに隣の「国際線乗り継ぎ案内窓口」はガラガラであった。

窓口でちょっと並んで受付の女の子に聞いてみる。

「後の日付に変更できると聞いたんだけど、変更したい。それは空港の窓口でないとだめなの?」
「航空券見せてください。・・・・○○君じゃない!!似ていると思ったんだよ!!」
「あ!!〇〇さん!!」

なんと空席待ちカウンターで業務をこなしていたのは小学校の時の同級生であった。近所の子なので「全日空に就職した」という話は聞こえていたが、まさか会うとは思わなかった。

航空券の振り替えは一回限り可能で、空港でなくてもマイレージクラブの電話でも構わないと言うことを教えてもらった。とりあえず今日搭乗予定の航空券の搭乗手続き解除(座席返却)を行う。つい先ほどまで空席待ちの案内をしていたこれから搭乗予定の964便だけは取り消しは出来たものの座席返却には間に合わなかった。

今日はもう乗らないことを伝えてしまったら千歳空港にいる必要はない。とりあえず王子に「今日はやめた」とメールを出して、15分ぐらい待って家の最寄駅まで行く高速バスに乗った。

結局、バスを乗り換えて家に着いたのは午後4時過ぎ。まだまだまだ今日は時間がある。そこでパソコンを起動させて「プリンセスホリデー」を始めたりした。今度は無事にクリアできた。


その日の夜、車を走らせて千歳に行き、なんとか千歳に着いた王子と、その後に千歳に着いたもう一人同じく一日乗り放題で回っていて同じように影響を受けて札幌泊となった白鳥君も捕まえて、札幌まで走り、3人で晩御飯を食べたのであった。

飛行機は3月22日の千歳発始発便の50便→羽田発885便と、同日富山発892便→羽田発最終便969便に振り替えてもらい、「一日乗り放題第二弾」に備えた。


一日乗り放題はとても楽しい。1万円ぽっきりで旅行が出来る。1日だけなので宿泊費もかからない。食費を入れても2万円もしない。

ということで、別予定で3月12日の杉原真奈美誕生日記念で高松に出かけた。また飛行機に乗って、今度は大阪往復であった。

 






「一日乗り放題の振り替え」の件であるが、周りの話を聞くうちに何も一日で乗り継がなくてもよさそうな感じだと判った。そこで3月17日ごろに全日空に電話。「振り替えは一回限り」と聞いていたが担当の赤浦さんにかけあってみた。

結果「上の者と相談します」を三回受けた上で特別に変更可能となった。再予約便は、3月20日の千歳発962便→羽田発885便、翌21日は少し富山発を早くして富山発888便→羽田発969便とした。本当は富山発886便としたかったのだが、ネットで空席を見た結果満席であったので888便とした。当日空港で空席待ちをすればよい。886便なら羽田13時40分着で、アキバで遊べる(爆)


3月20日

夜勤から帰ってきたのが午前4時。そのまま寝ずに支度をして6時20分過ぎに家を出る。一日乗り放題第二弾の一日目で、通算二日目である。家を出るのが若干遅れたものの無事にバスに間に合い、さらに高速バスに乗り換えて新千歳空港に向かう。空港到着は7時47分で、予定の962便の出発43分前だ。当初予約の50便だと出発わずか3分前で、始発バスから空港までの最安の手段では間に合わないのだ。

カウンターで事情を話して962便の航空券を受け取る。一緒に羽田発の885便の搭乗手続きも受けた。時間が若干あるのでモーニングセットでも食べようかと3階のレストラン街に上がる。しかし空港と言う場所柄か値段が高い。大体800円前後する。モーニングと言う値段ではない。しかも3、4件回ってみると洋風の「モーニングセット」の内容がどこの店も同じではないか! 店先に出してあるサンプルから同じなのだ。なんだこりゃ!?

そうこうしている内に時間が少なくなり、結局モーニングは食べないまま出ることにした。手荷物検査を受けるが、イラク攻撃の恐れありということでなんと上着まで脱がされて手荷物と同じようにX線検査を通させられる。大変だ。

羽田行き962便は順調に搭乗案内を始めて、定刻ぐらいに出発した。予約時点では空席があったはずだが、先ほど搭乗手続きを受けた時点では満席になっていたので、与えられた席は通路側であった。座席に着いてお客さんを見ているとビジネスマンが多い。

定刻ぐらいに千歳を出発。今月5回目の飛行機は無事に離陸した。

機内のドリンクサービスが始まった時に持ってきていた「あんぱん」を開いて食べる。「飛行機の中であんぱん」は実に3回目だ。最近はなぜか橘天音ネタの「あんぱん」を食べるのは飛行機内が多くなった(爆)

外が見えないので機内ではずっとパソコンを開いてこの紀行文を書き続けていた。


無事に羽田ビッグバードの24番搭乗口に到着。乗り継ぎの富山行きを見ると12番搭乗口だ。のんびり動く歩道を使って12番に移動する。移動中はずっと携帯で明日東京で会う予定の今konさんとメールのやり取りをしていた。しかしなんですか!!12番搭乗口って全日空の一番端っこぢゃないですか! 到着した24番搭乗口は反対の端っこだったのに!! 乗り継ぎで端から端まで歩かされてしまった(実際は動く歩道に乗っかって止まっていたのだが・笑)

ここの時点で早々と今晩の宿を決めて予約した。家を出る前にちょっと下見をしておいた朝食付き5,000円の「魚津スカイホテル」である。ネットの「旅の窓口」を使った予約で、通常価格より2,000円以上安くなっている。富山市内で泊まってももちろん良かったのだが、朝食付きで5,000円というのは無かった。

搭乗案内が始まり機内へと行く。前方窓側で頼んで与えられたのは「1A」。一番前だ。

機内入口で「いらっしゃいませ」と迎えてくれたキャビンアテンダントのお姉さんに物凄い見覚えがあった。どこで見たか思い出せないが絶対どこかで会ってる。

ほぼ定刻に飛行機は出発。海側の滑走路を南から北向きに離陸した。離陸して大きく右に旋回ぐるーーーっと回って富山方向に向かいはじめた。

地上を見ると横浜駅が見えた。その後新幹線。走っているのが見える。そうして湖。どこだろう?わからない。ダムでせき止められている。続いて中央道。街は富士山の麓まで続いている。そうなるとこの山を越えたほうが甲府かな?それで山を回って小淵沢?更に行くとまた湖だ。大阪に行く時によく見るそれは諏訪湖。そうなると諏訪湖から南側に行くのは岡谷周りだろう。山を越えるとみどり湖経由で・・・・。あ、あれが塩尻駅だね。そうなると松本上空だ。この山が安房峠の山で・・・と、ここまでは見えていたのだが、北アルプスを越えて日本海側に出ると雲が出てきて地上が全く見えなくなった。

飛行機は雲の上を進みつづける。そうしてまもなく着陸の案内放送が掛かる。雲を抜けて次第に下がっていくが、そこは海の上である。ぐるーーーっと旋回して富山には北側から侵入していった。おぉ!そこに見えるのは富山港線ではないですか!?あれが岩瀬浜の駅。なるほど海が近い。 

線路はまっすぐ県道(?)沿いに中心街へ延びていく。飛行機はずばり富山駅上空を通り抜けてどんどん下りていく。富山地方鉄道の布市駅が富山空港のほぼ真東で、富山地鉄の駅の中では一番空港に近いのだが、結局線路の位置がわからないまま神通川の河川敷に作られた富山空港に着陸した。

空港ターミナルに「名鉄トヤマホテル」の広告があった。「政府登録国際観光旅館」だそうで、かなり高級そうだ。ネットの「旅の窓口」に実を言うとこの「名鉄トヤマホテル」も出ていて、かなりお手頃な値段だったのだが、朝食が付かなかったのでパスしている。広告を見て「名鉄トヤマホテルにすればよかったかな?」と思った。 を抜けてバス乗り場へ向かう。10分ほど待って直行便ではない経由便の富山駅行きに乗る。バスは中ドアの着いた一般車で全日空の広告塗装のバスであった。いかにも連絡バスといった感じだ。

けっこう時間が掛かって富山駅に到着。とりあえず地鉄の電鉄富山駅へ向かう。3月25日改正で新駅「小杉駅」が出来ると宣伝していた。とりあえず時刻表を貰う。

隣のJR富山駅に行く。本当は富山地鉄をメインにしようと思っていたのだが、日程に余裕が出来たので金沢に行くことにしたのである。金沢は北陸鉄道ももちろん走っているが、なんといってもセンチメンタルグラフティのヒロイン保坂美由紀の街ではないですか! 金沢はその実センチを始めてから一度もスポット巡りをしたことの無い街なのである。本当は丁度一年前の日本縦断の時に巡る予定だったのだが、事故という情けない事態で市内は通過している。本当は今回福井市経田の保坂美由紀応援店「宝島王国にのみや」にも行きたかった。鉄道をメインにするなら金沢より福井で、京福電鉄こそ止まっているが、釣りかけが現役で走っている福井鉄道がある。しかし、福井は諦めた。時間が掛かる。

13時13分発の福井行きの各駅停車があるのでそれで金沢を目指すこととし、とりあえずみどりの窓口に行く。3月15日改正で走り始めた特急「しらさぎ」の新型と旧型を合わせた2枚一組のオレンジカードを発売していたので二組購入しておく。

その後駅ビル二階のレストラン街に行ったものの、みどりの窓口が混んでいてオレカを買うのが遅くなったこともあり時間が少なくなって入ることは出来なかった。「富山名産・白えびのえび天丼」という結構食指が動かされるものもあっただけに残念だった。その影響もあって一階の弁当店「源」で「ますのすし弁当」を買って電車に乗った。

413系3連の福井行きは富山を出るときこそボックスに3人いる席が多かったが、呉羽あたりで空いた。窓側の席を確保して弁当を広げる。しかし「弁当」とは名ばかりで、「ますのすし」のミニ版と言った感じであった。漬物の類の箸休めのようなものは全く付いていないのである。お客はまた高岡から乗ってきた。

倶利伽羅駅は見ておきたかったのだが、前日から寝ていないこともあり丁度眠ってしまった。気が付くと森本で、思わず「Ripple」のヒロイン森本奈海を思い出す。電車は無事に高架駅の金沢に着いた。

とりあえず高架下ショッピング街にあった観光案内所に行って見る。しかしいいパンフレットのようなものは無かったので出る。次にバスターミナルに行って見る。しかしバス案内所のようなものは見当たらない。バスターミナルでは米軍のイラク攻撃が始まったことを伝える新聞の号外とクレジット会社のティッシュを配っていた。

再び駅の観光案内所に行く。今度は受付嬢に聞いてみた。するとやはり市街観光地を巡るループバスが出ており、観光一日乗車券が500円で売っているという。最終は午後6時だそうだが、とりあえず購入し、再び駅前バスターミナルに向かった。

駅前バスターミナルから14時30分発のバスに乗る。まだ見つかったという話を聞いたことが無い「呉服店」を半分探しながらまず「東茶屋町」へ行った。今回のためにとっても久しぶりに持ってきた背景画像ファイルを見ながら場所の特定を開始する。最初は一番手前の建物が似ていたのでその写真を撮った。形が違ったが改築したかもしれない。東茶屋町の通りを撮影した写真もここから撮ったものに似ている。それも撮る。しかし奥まで進んでいくと写真そのままの建物があった。なるほどこっちだ。奥まで行って折り返してくると、先ほど「ここかな?」と思って撮った通りの写真も別の場所だということがわかった。「さすがに背景探しの感が鈍ったな。」と思った。

東茶屋町のそばに浅野川が流れていたので行ってみる。川べりの写真は浅野川だったかしら?どうも違う。

再びバスに乗って今度は兼六まで行ってみる。バスを降りて坂を登ると金沢城石川門前であった。

その橋ではなにか工事中で、「石川門と橋」の写真を撮ろうとすると、どまん前にトラックがあり写真が撮れない。仕方が無いのでそれは諦める。橋前の交差点の角の土産物屋らしいところがもう一枚の写真で、それは無事に撮影。その隣の料理店らしきところもスポット写真でそれも撮影。ただしそれはタクシーに埋もれながらであった。

金沢城があるのだから見ることにした。石川門の写真を撮って入場。ただし公園みたいなもので入場は無料である。とりあえず簡単に回って終了とする。



センチスポット石川門。トラックがめちゃくちゃ邪魔・・・。






橋の前には兼六園の入口がある。確か兼六園はスポットになかったはずだが、金沢に来て兼六園に行かないのはやっぱり変な気がしたので、入る。公園としては栗林公園や熊本の水前寺公園と似たようなものである。ここまで名庭・名園を回ると、やはり岡山の後楽園とかも行かにゃならんのかなと思い始めていた。

すでに兼六園には雪一つなかったが、雪吊りがまだあった。

兼六園を抜けて裏の金沢神社に行く。ここはスポット。門と絵馬の掛かっているところの写真を撮る。そのまま歩いてフラフラ行くと、金沢の地名の語源と言われる「金城霊澤」があった。おぉ!ここもスポットだ。撮影。向かい側には石川県立美術館。そういえばここもスポットだ。撮影。さすがに時間も少ないので中には入らない。









そのまま坂を降りて広坂のバス停からバスに乗って香林坊へ行く。途中犀川の川べりを走った。川べりを写したスポット写真はどこで撮ったものだろう?

香林坊で降りる。とりあえず交差点まで若干戻る。おぉ!謎の三角物体をうつしたのはここだね?「香林坊アトリオ」の脇だ。お!交差点の反対側に「香林坊」と書かれた標柱があるね。もう一つはどこだろう?

香林坊ストリートと書かれたかなりメインの写真の場所がわからない。片町のほうまで歩いてみたが、片町は片町商店街で、香林坊ではない。夜の香林坊の写真を撮ったところはこの香林坊から片町に続くところに間違いは無いようだが、暗すぎて判らない。これはさっさと諦めた。香林坊交差点の突き当りには「金沢東急」がある。その脇に「謎の丸い植木鉢」スポットがあった。一個植木鉢が撤去されているのも確認できた。

ふたたび香林坊交差点に戻ると、「広い通り」の写真も香林坊であることが判明。簡単なところが多いのでバンバン見つけていく。右のクリーム色の建物は「香林坊アトリオ」、中央の高い建物は「北國新聞社」である。

そのまま「香林坊ストリート」と書かれている門を探して歩くが見つからない。その前にローソンを見つけたので引き落としが出来なかった先月分の携帯の料金を払っておいた。ローソンなら店名が入る。セブンイレブンは店名が入らない。

結局「名鉄エムザ」まで歩いてしまった。目の前に近江町市場があるので入ってみる。もう午後5時を過ぎている。バス車内での案内で「近江町市場は午後5時過ぎになると殆ど閉まる」と言っていたが、まだまだ活気があった。とりあえず十間町口へ出て写真を撮る。市場内を写したと思われる二枚については場所の特定が出来なかったのでこれは諦める。

名鉄エムザの前からバスに乗り込んで金沢駅前に戻った。観光バスの乗り場の前にバス案内所があったのでそこで郵便局の場所を聞いてみる。携帯の料金を払ったらふところが寂しくなったためである。

教えてもらった駅内の郵便局で用事を済ませ、またまたループバスに乗る。目指すのは北陸鉄道の野町駅だ。ループバスなら犀川大橋のたもとにあるバス停が近い。もちろんバンバン出てる普通のバスで真っ直ぐ行くと近いのだが、「一日乗車券があるから」という理由でループバスに乗った。


バス停から結構歩き、結局は遠回りは無かったものの迷いつつ北陸鉄道の野町駅に辿り着く。ここから電車に乗る。北陸鉄道の石川総線は加賀一の宮までの路線で初乗りである。が、1時間に2本程度走っているが、末端の鶴来−加賀一の宮は1時間に1本しかない。次の電車は鶴来止まりで、終点まで乗っても乗りつぶし出来ない。野町を出た時点ですでに周りは真っ暗で車窓が楽しめないのでどこかで折り返そうかと思いながら最後の方ではまた眠ってしまったので結局終点鶴来まで行った。

鶴来ではわずか3分で折り返し。ただ来た電車ではなく別の電車であった。鶴来駅脇には車庫があり残り2両となった旧型車が置いてあった。現在の主力車である元東急7000系が5本導入された時、旧型車は殆ど廃車された。しかし、当時ラッシュ時に5本使用していたので一本が検査に入っている時には鶴来−加賀一宮間で走っていた。
しかししばらく前の改正でラッシュ時4本使用に改められた時に不定期の運用でさえも失った。前回走ったのはいったいいつなのだろう?

午後8時過ぎの新西金沢で下車する。すぐ前にJRの西金沢駅があるので乗り換えようと考えたのである。駅に行くと丁度「金沢方面普通電車の七尾行き到着です。」と案内が掛かり、急いで切符を買って電車に乗った。七尾線直通の電車なので使用しているのは113系から改造した415系800番台であった。すぐに金沢に着いた。

金沢ではまず晩御飯を食べたかった。金沢の名物ってなんだろう?あんまり話を聞かない。とにかく駅のグルメタウンで店を見る。金沢に来てまでとんかつというのもないだろう、ということで結構迷ったものの、「山さん」という和食屋に入った。夜なので店内は居酒屋となり飲み客で賑わっていた。私は「山さん定食」を頼んだ。

味は美味しかったが、量は多くなかった。ただ、刺身で盛ってあったタコがくせが無く美味しかったのは特筆してもいいだろう。

今晩泊まる予定の「魚津スカイホテル」はネット上の案内に「モジュラージャックがあります」と書いてあった。ということはネットが出来るという事だ。最近はブロードバンド無料接続を謳うところも多いが、持ってきているノートパソコンは自宅でメイン機では無いため、LAN対応化していないのだ。しかも今回はちょっと慌てて準備したためモジュラーケーブルを持ってこなかった。

金沢駅前でコンビニなどに入ってモジュラーケーブルを探すが、やっぱり無かった。多分9時まで営業しているだろうスーパー「ユニー」の大型ショッピングセンター「アピタ」は金沢より北鉄の野町の方が近い。しかたがないので諦めて富山行きの各駅停車に乗った。

富山から更に糸魚川行きに乗り換えて魚津に到着。無事にチェックインした。モジュラーケーブルの件を尋ねると、探してくれ、貸してくれた。



3月21日



翌朝はゆっくり起きて隣の「ホテルサンルート魚津」で朝食。なんと「魚津スカイホテル」はサンルートの別館扱いだった。

あまりにもゆっくりしすぎたので前日考えていた宇奈月温泉往復はやめた。昨日貰った時刻表を参考にどこに行こうか考えながら地鉄の新魚津を目指す。丁度新魚津手前のガードをくぐった時に特急の地鉄富山行きが上を通過していった。

JRと地鉄の魚津駅をくぐる地下道からホームに上がる階段があり、その先のホームの上に細っこい地鉄新魚津駅の駅事務室がある。どうしようか考えたものの、とりあえず車庫のある稲荷町までの切符を駅員さんに頼んで買う。新魚津の駅員さんに新しい時刻表を進められたが、逆に古い時刻表を頼んで貰った。昨日貰ったのは新しい時刻表だったのである。新旧両方の時刻表を見比べると、次に出るのは9時58分発の急行富山行きだが、改正で各駅停車に格下げされてしまうようだ。

ホームにでる。ホームの上の駅事務室は新しそうだが、ホームの屋根や待合室のつくりは古そうだ。ホーム上に鉄骨の跡があり、それは以前はJRの跨線橋から橋が続いていた事を暗示している。以前は地鉄の改札もJRと一緒だったのだ。いや、JRではなく国鉄だったかもしれない。

古い上屋などを眺めているうちに急行電車の地鉄富山行がやってきた。期待していた地鉄の在来車ではなく、10年ぐらい前に京阪電鉄からやってきた10020系だった。

前の車両の前のほうの席に座る。ちょっと背伸びすれば前面展望が出来る。地鉄に乗るのは3回目だが、新魚津から稲荷町までの区間は初乗りだ。

駅に止まったり、小さな駅を通過したりしながら急行は快適に走っていく。途中、上市というところで方向転換。前後が入れ替わる。乗客が少ないので私も席を替える。ちょうどアルペン特急宇奈月温泉行がやってきて交換。こちらは西武鉄道のレッドアローのお下がりだ。デジカメで写真を撮っておく。そうこうしているうちに車庫のある稲荷町に到着。下車する。

稲荷町の駅も、どことなく地方私鉄の駅らしい雰囲気が漂っていた。稲荷町の駅員さんに「車庫を見学したい」旨お願いすると、「直接車庫に行って」と言われた。

駅を出て車庫に向かう。途中、柵の外から撮れる位置の側線に止まっている電車の写真を撮っていく。そうして「稲荷町工場」と書かれた看板を目印に工場に入った。事務室らしき所で来意を告げると、あっさりと「いいよ」と返事が返ってきた。そこで車庫の電車に注意しながら写真を撮ろうとすると、工場の人がやってきて「だめだ」と言う。「先ほど事務室で許可を」と告げたが、「だめ」の一点張り。「平日に来てくれ」と言う。「北海道から来ているので平日は・・・」と告げてもだめだった。

しかたがないので駅に戻り、ホームの上から写真を撮って我慢した。

一通り写真を撮り終わったのですることがなくなった。少し早めに富山駅に戻る事にして電車を待った。

やってきた電車は地鉄オリジナルの車両で、曲がったホームに進入する所からデジカメで撮った。






地鉄電車2題。「特急塗装」とも言われるこの旧塗装だけど、こっちの方が好きだな。

すぐに富山駅に着いた。

富山駅に着いてもすぐに改札を出ることはせず、駅構内で電車の写真を撮る。くし型ホームをあちこち動いて、止まっている電車ややってきた電車を撮っていた。

撮り終えて、改札を出る。886便の出発時間まではまだかなり余裕がある。さりとて離れた所に行く時間まではないので、駅前から出ている路面電車に乗ることにした。南富山行きに乗って数駅、「西町」というところで降りた。乗客は数人しかいなかった。

西町からそのまま東西に走る通りをてくてくと歩く。総曲輪(そうがわ)通である。この通りを富山駅前に続く国道41号まで出ると、この通り沿いに空港に行くバスが止まる停留所があるはずだ。少し駅前に戻ると、たくさんのバス停があり、空港行きの停留所もすぐ見つかった。総曲輪バス停は、空港に行くバスの止まる最後の停留所である。

しばらく待って、空港行きのバスに乗る。広告塗装車であったが、別に飛行機会社の広告ではなかった。昨日、富山空港から駅前まで乗ったバスは全日空の広告で「あぁ、空港連絡バスらしいね」と思ったのだが、たまたま全日空の広告車だっただけのようだ。

無事に富山空港に到着。カウンターで「886便の空席待ちをしたい。」と伝えると、すぐに受け付けてくれた。しかし、なにかおかしい。886便が遅れると言う旨の告知が出ている。聞いてみると、全日空の羽田空港の端末障害が原因らしく、全体的に遅れているという。これは困った。アキバで遊べないかもしれない。

アキバに行けたら遊ぼう!と話していたK氏にメールを送り、「遅れそうだ。」と伝える。

全日空の携帯サイトにつないで一つ前の便、884便の出発状況を調べると、ほぼ定時に富山を出発していた。「884便にすればよかったな。」と考えていた。

そのうち、遅れが拡大してきたので、搭乗予定の乗客に対して、「お詫び」の「1,000円商品券」が配られ始めた。飛行機の出発が30分以上遅れるようなときにはこうして「商品券」を配ることがある。ただし使えるのは空港内の施設だけで、レストランやおみやげ物屋で使え、ということである。

私も商品券を貰って、空港内のレストランで食事を取ることにした。2ヶ所ぐらいあるレストランはどちらも行列の出来る混雑。しかたがないので列に並んでしばらく待った後、入った。

それでもなかなか飛行機が出るという案内がかからない。そのうちターミナル2階のVIP室が開放されたのでそこに入る。VIP室にはゆったりしたソファがあって、テレビが流れていた。しかし、VIP室と言っても「待ちくたびれた乗客が疲れた顔で待っている」という状態なので、決してゆったりはしていなかった。

そこでコンセントを繋げて電気を貰って、ノートパソコンを起動させてこの旅行記を書いていた。

そのうち、「札幌行きの搭乗手続きを開始します。」と放送がかかった。

調べてみると、富山発札幌行きと言う直行便がある。本来は886便より前の出発なのだが、こちらも遅れていたらしい。もう外も暗くなり始めているし、アキバで遊ぶのは無理だろう。それなら札幌に帰るだけだし、ということで搭乗手続きカウンターに言って、事情を話してみた。

「羽田行きのあと、乗り継ぎで札幌までの航空券を持っているのだが、札幌行きの直行便に変更できますか?」
「通常は出来ないのですが、今回は特別に変更してもかまいません。」
「しかし、私の持っている航空券は2区間である。それを1区間にするのだから、もう1区間を有効にして欲しい。」
「・・・・少々お待ちください。」
「・・・・申し訳ございません。札幌行きの直行便は運賃が高いものですから、もう1区間を有効にはできません。」
「変更なさいますか?」
「・・・・ちょっと考えてみます。」

そんなこんなで引き下がってしまった。

まぁ東京に行ってから全日空がどういう対応をするのか、ということにも興味があった。

札幌行が飛んでいった。

ヒマなので、「また飛行機が遅れたよ。」と、3月1日に乗り放題をしていた王子にメールを出した。ちょこちょことやり取りをする。

そのうちだいぶ暗くなってから、ようやく羽田行き886便の搭乗手続きが開始された。空席待ちの私は、元々886便の出発に合わせて空港に来ていたのですんなりと変更できた。

手荷物検査を受けて安全区域に入ったところで、もう一度「商品券」が配られた。私はそれでおみやげを買った。

折り返し886便となる飛行機が到着して乗客が降りてくる。機内整備が行われた後、ようやく搭乗開始だ。

と、搭乗が始まっている時に、折り返し888便となる飛行機も着いた。この飛行機は、おなじ搭乗橋の反対側(先で二つに分かれていた)を使うので、降りる乗客が待ちぼうけを食らっていた。

ようやく886便が富山を出発。もう外は真っ暗であった。

 

めちゃめちゃ遅れての羽田到着であったが、20時台には何とか着けた。乗り継ぎの969便は21時の出発予定である。

乗り継ぎの969便は・・・と思ったが、空港内は異様に静かである。まだ969便の出発時間ではないのにこの静けさはいったいなんなんだろう?乗り継ぎがあるので安全区域を出るわけにもいかず、途方にくれていると、歩いている女性係員を発見。聞いてみた。すると、「15時以降出発の便は全て欠航です。」というではないですか。なんですとーーーー!!!

王子からメールが届いた。そのメールには札幌行きの欠航便が書いてあった。

私は、明日朝8時から仕事である。しかし、21時前に東京にいるので、どう頑張っても間に合わない。鉄道を使って新幹線をのりついで行っても間に合わない。明日朝一番の飛行機に乗っても8時に会社はさすがに間に合わない。しかたがないので上司に「すいません。明日会社遅れます。」と電話を入れた。

「今、東京にいて予定の飛行機が欠航になってしまったので、明日1時間程度遅れます。」
「いいよ、いいよ。明日別な誰かに出てもらうから。」

ということで、明日の休みが決まった。

女性係員は、「今晩はホテルかどこかに泊まっていただく事になります。ただいまホテルのリストをお持ちします。」と言ってどこかに行ってしまった。

王子からメールが届く。

「969便は動きます。」
いや、今、「969便 欠航」って出ている搭乗口の目の前にいるんだけど・・・・・

「他社便に振り替えてもらうのはどうですか?」
いや、札幌行969便は羽田発の最終便で、日航の最終便なんてとっくの昔20時に既に出ているんだけど・・・・・・

自宅にいる王子と実際に空港にいる私が「飛行機の運行状況」を話したって王子の情報が意味をなしていないのは明白である。

 

しばらく待って女性係員が持ってきたのは、インターネットのを印刷したらしい「羽田空港周辺のホテル」というものと、どっかの街角情報案内機のような機械からプリントアウトしたようなちゃちいものであった。「お持ちします」というからには、全日空がそういうホテルを見やすくまとめたものだと思っていた。

その後、明日の飛行機に振り替える手続きをとる。あしたの始発便は既に満席で、3、4便あとの便になった。結局明日は休みになりはしたが、当初「1時間遅れます」と伝えている。しかし、そんな遅れでは済まなかったわけだ。休みになってよかった。

ホテルリストを貰い、振り替えも終わったので、安全区域を出る。

さて、どうしようか?と思ったものの、「明日休みなんだし、急いで帰る必要もないか。」と思い直した。さっきは「とにかく急いで帰らないと。」と思っていたが、そんなことはない。ということで、またまた全日空のカウンターに行って、事情を話した。すんなりと変更に応じてくれて、結局14時羽田発の便にした。もちろん明日の最終便でも良かったのだが、また遅れられたり、欠航されたりしたらとても困る。

羽田発千歳行きはもう何回変更したのだろう?

3月1日969便→3月22日969便→3月21日969便→3月22日午前便→3月22日14時便・・・・・・

 

変更したあと、とにかく今日の宿を決めなくてはならない。宿泊料金は「領収書と引き換えに明日空港でお支払いいたします。」ということだったので、どこでもいいということだ。リストの中には「カプセルホテル」も入ってはいるが、ちゃちいプリントアウト用紙には「第一ホテル東京」という超高級ホテルの名前も入っている。ということで高級ホテルに泊まる事に決定!第一ホテルに電話をかける。

「第一ホテル東京は閉館いたしました。」

だめぢゃん!!(爆笑)

自動放送で案内されたもう一つの「新館」みたいなところに掛け直す。

「あいにく満室です。」

こうなったら東京全日空ホテルに電話。

「あいにく満室です。」

ううむ・・・・・・

ちくしょう。しかたがないので超高級ホテル「ホテルオークラ」にかける。

「空き室ございます。」

ということで、ホテルオークラに決まった。

ホテルオークラは麻布だったか霞ヶ関だったか赤坂だったか、とにかくそんなところで、めちゃめちゃ行きにくい。京急からそのまま都営地下鉄に入り、何回か乗り継いでようやく着いた。

ホテルに行く途中にコンビニがあったので弁当と飲み物を調達して向かう。途中イラク攻撃の関連なのかけっこう警官がいて警備をしている。私も職質されたが、「ホテルオークラに行く.」というとすんなり開放された。

チェックイン。

ホテルマンにうやうやしく部屋まで案内された。こういうのはホテルでは初めてかな?とりあえずチップとして1,000円渡す。

・・・・「宿泊費は全日空負担」とはいえ、なんか逆に高くなってないか?(汗)

さすが超高級ホテルだけあって、部屋がとても広い。部屋の広さ以上に大理石を使った風呂場がとても広い。いつも泊まるビジネスホテルではこんなに風呂場は広くない。

晩御飯を買って来ているのでそれを食べる。超高級ホテルでコンビニ弁当の晩御飯はかなり寂しい。ホテルの夕食メニューを見てみると5,000円以上している。さすがに無理だ。領収書を持っていけば食事代も出るのかな?朝食も2,000円以上している。ビデオプログラムも有料だ。その代金も領収書を持っていけば全日空が払ってくれるのかな?けど、なんで金髪モノが多いんだ?(ぉ)

風呂に入って寝た。


3月22日

 

起床。

別に変わった事なんてない。とりあえず「ホテルオークラ」なんてこの先泊まる事なんてないと思うので、部屋の中の写真を撮ってしまう。貧乏人だな・・・・。

身支度を整えて部屋を出る。朝ご飯は高いので、ホテルでは食べられない。

チェックアウトカウンターで手続きをしていると、「昨日の飛行機の障害の宿泊ですか?」と聞かれた。やはり同じ理由で宿泊している人が多いようだ。ロビーの片隅にベルボーイやベルガールの待機所があった。外国人宿泊客がそこを通った時、見知った顔だったのであろうかベルガールがなにやら流暢な英語で話し掛けていた。「流暢」というより「フレンドリー」に近い。さすが「ホテルオークラ」だな、と感心した。

 

ホテルを出た。

さて、今日はなにをしよう?ということで、まず落合南長崎の「ホビーセンターKATO」に行く事にした。模型店である。ちょこちょことパーツが欲しかった。最近東京に出るときには、なるべく地元ではなかなか売っていない欲しいパーツをリストアップして来るように心掛けていた。

ということで地下鉄を乗りついで「ホビーセンターKATO」に行った。

無事到着。一通り眺めて何か買った。・・・気がする。よく覚えていない(汗)

転進。

次に向かうはやはりアキバである。

地下鉄を乗り継いで到着。地下鉄だけで行ったか途中からJRに乗り換えたか、よく覚えていない(汗)

アキバについたものの、することはいつもと同じ。・・・だったと思う。

ただ、ラオックスアソビットシティのDVD売り場で、「Piaキャロットへようこそ!〜さやかの恋物語〜劇場公開版」を買った。おまけでポスターを貰った。ラオックスは地元に店がないもののポイントカードを持っている店舗で、アキバの電器量販店の中では一番好きな店である。

飛行機が14時の出発なので13時前にはアキバを離れなければならなかった。

14時発千歳行きは無事出発。昼過ぎの便ということで空席がけっこう目立つ機内であった。

 

こうして「遅れ」に悩まされつづけた3月の乗り放題がようやく終わったのだった。

 


('04.07.22up)