Senti-G.com HOME>紀行文>北星の高松懺悔紀行 〜高松は真奈美の涙霞・篇〜 このお話は、全てフィクションです。実話と思う人なんていないと思いますが。 3月19日午前9時25分。徳島からの特急「うずしお4号」は定刻に高松に着いた。高松の天気は霞(かすみ)。
しかも、鳴牙氏はこの書き込みの2分後の1時41分「喫茶室ボナサン」で、「ここに来る人達は浮気者ばかりで信用できない」旨の発言をしていた。それを見た瞬間「私のことではないか」と思ったのだが、書き込みに2時40分に気がついて、そのことが本当に私にあてられたものだと知って、愕然とした。 「何とかしなくてはならない。」 そう思ったものどうすればいいかはすぐには分からなかった。なんとか猛者として・・・と思って、ハタと気がついた。「猛者」と名付けてくれたのは、何を隠そう鳴牙氏ではないか!それならば、もう一度「猛者」を確認するために高松に行こう。そうして、反省の意味を込めて頭を丸めよう。さすがに「猿」じゃここまで出来ないだろう。そう決めたのは18日の午前3時30分頃だった。それから時刻表とにらめっこ。そうして計算機をたたいて一番安い方法を考える。時刻表を見るのは慣れっこなので苦にはならない。 決まった予定はこうだった。 東京−(JR高速バス「ドリーム高松号」)−高松 高松−(快速「マリンライナー42号」)−岡山−(新幹線「ひかり120号」)東京 安く往復するので有れば、往復ドリーム号でもいいのだが、それでは20日のTGS(東京ゲームショウ.3月20・21の両日千葉県幕張の幕張メッセで開催された)の徹夜に並べない。19日中に東京に帰ってくる必要性があった。
18日は3時過ぎから自粛していたチャットに入り、そのまま徹夜することになった。 18時にバイトが終了。その足でバイト先最寄りのK駅に向かう。みどりの窓口で「今日のドリーム高松号を」と訊いたが、「満席」の返事。続いて「サンライズ瀬戸の空席を・・・」と訊いたのだが、駅員は切符を出すのが面倒なのか「あとで」と言って後ろに並んでいる人を優先させた。「サンライズ瀬戸」は高松行きの寝台特急電車である。仕方がないので時刻表を見て他の高速バスを調べる。新宿から「ハローブリッジ」という高速バスが高松まで出ている。これは西東京バスの運行なので、みどりの窓口では買えない。さっそく電話をかける。しかし、「予約センターは午後6時で終了しました。」の自動応答。つれない。仕方がないので次に徳島行きの高速バス「エディ」に電話をかける。これは浜松町から出ているバスである。明石海峡大橋を渡って徳島に行く分、高松より運賃は安い。しかしこっちも、「6時で予約センターの受付は終了しました。」
いったん自宅に引き下がる。 自宅で時刻表をめくりつつ考える。名古屋まで行けば「オリーブ号」と言う夜行バスがある。しかし、名古屋まで行くのが高い。大阪・東神戸まで行けば高松東まで行くフェリーがあり、こちらは2100円と安いが、大阪までの新幹線代が高い。チャットで「高松に行く」と宣言した手前行かないわけには行かない。それに反省の気持ちをどうにかして表したかった。 とにかく19時過ぎに家を出る。 最寄りの駅M駅で「サンライズ瀬戸」の寝台の空席をたずねる。寝台にすると「ノビノビ座席」より5790円高くなる。そこまでして高松に行きたかったのである。しかし、寝台も満席。A寝台になると更に高くなるのでそれは訊かなかった。
横浜に行くには途中A駅で乗り換える必要がある。乗り換えのホームで時刻表を開いていると、徳島行きの「エディ」の欄にもう一つの電話番号があることを発見。さっそくかけてみる。と浜松町のバスセンターに繋がった。「今日のエディ号に空席はありますか」「増便に若干の空席があります。ただし増便ですので、トイレがありません。それでよければ」「それで構いません!お願いします。」「じゃあ、直接浜松町に来てください」 と言うことで、ついに徳島経由であるが、高松に行けることが決まった。
新宿に着き、バスターミナルに向かう。途中で七海氏から今度の受動氏送別OFFについて出席確認の電話。「行く!」と力強く答える。「これから高松に行く」というと驚いていた。 しかし、新宿からの高速バスには空席がなかった。バスの前面に出ている「高松」の文字を恨めしそうに見て、浜松町に転進した。 浜松町で窓口に行くと、「空いています。」と言われたが、「他のバスがノンストップで行くところを、トイレ休憩をとりながら行きますので、定刻より約1時間遅れます」と言われた。「えぇ〜!」と思ったものの仕方がない。 徳島まで9500円。 とにかく決まってしまえば安心で、発車時間まで時間があったので駅前に出て夕食をとることとする。探すと「満腹ラーメン」なるラーメン屋がありそこに入った。その隣りに「讃岐うどん」と書かれた店があったが、「明日高松に行くのに東京で食べることはないよね」ともちろん入らない。
(余談ですが、東京−名古屋・京都・大阪間の移動は電車夜行快速「ムーンライトながら号」だけではなく、高速バスを考えてみてはいかがでしょうか?18切符の有効期間外であれば、一考の価値があると思います。大阪の場合「ながら」より到着が断然早いし、快適なはずです。) 3号車は京急バスだが、こちらも夜行専用車で質には変わりない。私の割り当てられた4号車は京急バスだが、横に「貸切」と書いてある普通のタイプである。う〜ん・・・・・・。乗車前に切符を見せてから入る。一応席番が決まっているが、チェックした運転手から「どこでもいいですよ」と言われた。45人定員のバスはわずかに7人を乗せて走りだした。7人・・・・。座席のリクライニング角度も小さければ、大きさも小さい。トイレやドリンク類のサービスもない。まぁ、それでも乗れたのだからいいことにしよう。徳島経由であれ、杉原真奈美の住む高松に行けるのだから・・。
気がついたのは「小田原に着く」旨の車内放送があったときである。小田原サービスエリアに到着。すると駐車場に徳島バスの「エディ号」1号車が止まっている。「なぜ?」ととても不思議に思った。「ノンストップで行く」と聞いていたからである。まぁ、とにかく外に出られるので降りる。24時間営業のサービスエリアなので、売店が開いている。そこで売店を冷やかす。
次に気がついたのは「上郷に着く」旨の車内放送があったときである。上郷サービスエリアに到着。するとまた駐車場に「エディ号」が止まっている。いや、それだけではなく近鉄バスとか南海電鉄のバスとか止まっている。ここで(何かあったのではなく、乗務員の交替の休憩なんだ)とわかった。浜松町のバスセンターのおやじが言っていた「ノンストップ」ではなく、定期便も止まっていくのである。ただしトイレは車内に付いているのでサービスエリアで降りることは出来ないのである。(座席は悪いけれど、その分、別な意味で得した気分♪)と思った。運転手さん達も売店を冷やかしたり、煙草を吸ったりして談笑している。ここ上郷は名古屋の手前のサービスエリアである。名古屋と言えば「るりか」。おみやげに名古屋銘菓などもある。(ここで何か買っていったら「今度はるりかか!」)って言われるんだろうな・・・)とちらっと思った。
次に気が付いたのは「オオゴに着く」旨の車内放送があったときである。(オオゴってどこだろう?)と思っていたのだが、着いたのは「淡河パーキングエリア」である。(淡河ってどこ?)よく解らない。淡路島の中なのか?パーキングエリアなのでトイレと自販機ぐらいしかなくつまらない。しかも雨が降っている。時間はすでに5時を回っている。「遅れているのですぐに発車します。」と車内放送があった。それでもみんな降りていくので小雨の外に出る。
外はすでに明るいしここがどこなのか知りたいのでカーテンを少し開けて外を見ている。そのうち高速道路が「岡山・三原方面」と「徳島方面」に別れたので山陽自動車道を走っていたことが発覚。とすると「淡河」は兵庫県だったことになる。そのまま見続けているとついに明石海峡大橋にさしかかった。この橋が出来たから徳島行きの高速バスが高松行きよりも安く走るようになったのである。鉄道なら岡山を回らなければ高松には行けず、遠回りである。小雨の中明石海峡大橋を渡橋。淡路島の中に入った。
約30分遅れで徳島駅に到着。ついに勢いだけで四国に来てしまった。
徳島駅のみどりの窓口に入り、最後の学割を使って「東京までの乗車券」を買う。そうして「高松までの自由席特急券と岡山からの新幹線の特急券」を買う。高松までの特急券は新幹線との乗り継ぎ割引で570円であった。
9:25高松駅に到着。 高松。なんでここにいるのかな? 天気は曇り。雨が降ったあとがあり、全体的にどんよりしている。「涙雨」ではないにしても「涙霞」である。
そのあと、再び奥社へと続く道に取りかかる。奥社への参道は階段と言うよりも坂道である。途中に白峰社などの小さな社がある。軽く一礼して過ぎる。坂道を歩く、階段を登る、その一歩一歩に浮気への反省と真奈美への懺悔の気持ちを込める。
高松に戻る琴電の時間と考える。琴電琴平駅発の電車は毎時12,42分発の2本である。琴電で帰る方が610円とJRより210円安いし、繁華街の瓦町に直接行けるので、琴電の方が便利である。 奥社から下山する。
瓦町の駅の上は「コトデンそごう」である。ここで「謎の鳥のアクセサリー」(ジャーニー第4話に出てきたよね)を探したいのだが、去年の夏探して見つからなかった。いや、今回は紳士アクセサリーを見て帽子が欲しかった。さすがに丸坊主になったのはちょっと恥ずかしい。そこで切る前に帽子が欲しかった。ところがこういうデパートに良くある状態、すなわち「ほとんどのフロアーが婦人物」という状態で(余談だが銀座のプランタンデパートに入ったときはほとんどの階が婦人物売場でマジで驚いた)、紳士物がない。ヤングカジュアルもない。
それから、理髪店を探す。適当にタウンページで「杉原」と店名につく理髪店を探したり(爆)したが、ない。とにかくここ瓦町近辺で床屋を探す。髪型はすでに決まっている。前述の通り「丸坊主」。一番短い切り方である。
数十分後、丸坊主になった私がいた。1200円。安かった。 「反省なら猿でもできる」 そんな鳴牙氏の発言から始まったこの高松懺悔紀行はここ高松で丸坊主になったことで一応の結果を出した。 外は雨が降っている。真奈美の・・・・涙雨か?帽子をかぶり鍔を整えて瓦町駅に戻った。 帽子探しと床屋探しに時間をとられて、予定していた高松15:47発の「マリンライナー42号」には間に合わなかった。これに乗れないと岡山から博多始発の「ひかり122号」に乗れない。その次のマリンライナーに接続する岡山からのひかりは途中静岡に停まるひかりである。これが嫌だった。静岡は嫌いです。
改札に入り、高松・・・真奈美と別れる。 まもなく発車である。忙しそうな中車掌さんに頼んで電車をバックに写真を撮ってもらう。証拠。 一番前の車両に空席を見つけ座る。 前面の窓を激しく雨が打ちつける。真奈美の・・・・なんだろう。涙雨か?浮気したことへの怒り?悲しみ?反省に高松へ来たことへの喜び? それとも・・・・ 「マリンライナー44号」は遅れることもなく、定刻に岡山に到着。階段を渡って新幹線ホームへと行く。ホームにはすでに列ができていた。次の東京行きの新幹線は岡山始発の「ひかり170号」。私も自由席なので列に並ぶ。300系がゆっくりとホームに入ってくる。「のぞみ」として登場した300系新幹線もすっかり「ひかり」仕業が増えた。座席は山側の2列席を窓側を確保。カメラを持って外に出る。
17:36,岡山を出発した。 昔は東海道・山陽新幹線は北星にとってはあこがれで、東京駅付近で見ると「いいなぁ」というまなざしで見ていたのだが、センチを始めてから乗車回数が増えた。それでも未だに山陽新幹線の広島以西は乗ったことがない。 クリームソーダを飲みながら、マガジンを読み耽る。もちろん「ラブひな」以外の漫画も読む。北星にとっては漫画誌であっても「見る」ではなく「読む」である。 1時間後、新大阪に到着。・・・したらしい。「あ、着いたのか。」と思ったが、次にふと顔を上げると動いていた。大阪は森井夏穂嬢の住む街であるが、浮気はしないと誓った私には彼女には可哀想だが、なんともできない。 20分後、京都に到着。・・・したらしい。「京都か・・・。新幹線からだったらライトアップされた京都タワーが見えるんだよな。見たいな・・・」と思ったのだが、次に気がつくとすでにトンネルに入ってしまい、京都タワーどころか京都府すら出てしまった。京都は綾崎若菜嬢の住む街である。今回北星が浮気をしてしまった相手であり、彼女にも迷惑がかかっているはずだから、今度改めて謝罪に出向かねばならない。そう思ったものの京都もさらっと通過してしまった。 新幹線は快走を続ける。 40分後、名古屋に到着。・・・したはずである。なぜか名古屋付近の記憶は薄い。名鉄電車を見て「おぅ!名古屋だ!」と思ったような気もするが定かではない。名古屋は山本るりか嬢の住む街である。設定資料では確かるりかの父親は「鉄道職員」となっていたはずで、名古屋という土地柄から見て名鉄(名古屋鉄道)と見て間違いないだろう。名古屋に来て名鉄を見るたびにそう思う。そんな名古屋もいつの間にか出発してしまった。 マガジンも隅から隅まで読んでしまい、する事がなくなった私は少し眠る。嫌がっていた静岡の「のぞみ」待避の5分停車も夢うつつであった。 立ち客のいる中、岡山から4時間・高松から5時間ちょっとで東京に戻ってきた。21:30分である。今から24時間前はまだ東京にいた時間である。この24時間で高松に行ってきたのである。2次元の彼女、愛する杉原真奈美に浮気を謝るために。そうして、頭を丸めてきた。 「反省だったら猿でもできるんだよねぇ?」 私の掲示板へのそんな書き込みから始まった「高松懺悔紀行」はここに終わりを告げた。 これから私は、いや、これからも私は杉原真奈美彼女一人を愛し続けるだろう。たとえ「浮気者」や「浮気者2号」と言われ続けようとも。
この後いったん自宅に帰り、支度をし直してまた出かけた。そうして小雨の中TGSの徹夜に並んだのである。
北星の高松懺悔紀行
完 |